世田谷のおはなし

経堂ものがたり —法の声、風に乗る—

むかしむかし、世田谷の北のはずれに、一本の古道があった。
道沿いには、竹林と田畑が広がる静かな村があり、人々は質素ながらも穏やかに暮らしていた。

この村には、一つの古いお堂があった。
小さな瓦葺きのその堂には、ひと巻きの写経された法華経が納められていた。
人々はこの堂を「経の堂(きょうのどう)」と呼び、五穀豊穣や疫病除けを祈りに訪れた。

とりわけこのお堂を大切に守っていたのが、老いた行者「良澄(りょうちょう)」であった。
彼は村に災いが起きるたび、経を唱え、風のように現れては静かに祈りを捧げた。
その姿から、子どもたちは彼を「風の法師」と呼び慕っていた。

ある夏のこと、近隣の地に悪疫が広がり、村にもその影が忍び寄ってきた。
村人たちは恐れ、家に籠ったが、良澄法師はただ一人、経堂にこもって七日七晩、法華経を唱え続けた。

七日目の夜、突風が村を吹き抜けた。
雷鳴とともに堂の扉が開き、白い光が空へと立ちのぼったという。
翌朝、疫は跡形もなく消えていた。

良澄の姿も、堂から消えていた。
だが、堂の中には、開かれた経巻と、一輪の蓮の花が置かれていた。

その後、人々はこの地を「経の堂のある里」——やがて略して**経堂(きょうどう)**と呼ぶようになった。
経堂の地には、今もどこか清らかな風が吹き抜けるという。